つとむのピックアウトブログ

つとむのピックアウトブログ(訳してPOG)日常の出来事や興味を引かれたトピック取り上げて書いていきます!

今日は何があった日?(1月24日 郵便制度施行記念日)

 

こんにちは!

つとむです!!

 

本日1月24日の出来事は、1871年明治4年)に郵便制度が制定された日です。

全国に23,785もの郵便局があり(2021年11月30日時点)、郵便ポストは全国で179,127にも及び利用する人も多くいる郵便制度の始まりの日であり、本日は「郵便制度施行記念日」にもなっています。

今回は、そんな「郵便制度」と制定に尽力した「前島密」についてピックアウトしていいきます!!

 

【郵便制度とは?】

近大通信制度の一つになります。

昔の日本では書類等を送る際に飛脚を使い、相手に送っていました。

江戸時代の勉強をしているときに、資料集等で飛脚の絵を見たことがある人もいると思います。

明治初期までは飛脚が郵送をしていましたが、「日本近代郵便の父」と呼ばれる前島密によって郵政制度が建議され制定され、同年3月1日に東京・大阪・京都間で郵便制度が開始されることになりました。

その後、郵便制度の範囲が全国に展開され1885年通信省が出来、国で管理されることになりました。

 

前島密とは】

郵便制度の確立に尽力し、日本近代郵便の父と言われている前島密は1835年(天保6年)1月7日に越後藩(現在の新潟県)で生まれ、医学、蘭学、英語を学び薩摩藩の洋学校の蘭学講師を務める等活動していました。

その後、大政奉還明治維新があり駿府藩(現在の静岡県)の公用人等を歴任し新政府に関わっていきました。

前島密は郵便制度の確立だけでなく、首都を京都から東京に遷都するよう提言、鉄道施設の立案、電話事業の開始等現代に大きく関わる事業や制度に関わっていきました。

 

今回の記事は以上です!

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今日は何があった日?(1月19日 平治の乱)

 

こんにちは!

つとむです!!

 

本日1月19日の出来事は、1160年(平治元年)に平治の乱が始まった日になります。

 

平治の乱の意義は?】

平治の乱は、平安時代末期に起きた内乱になります。

この平治の乱とその前に起こった保元の乱によって貴族中心の政治が続いていた日本史に武士の存在が台頭していきます。

当時は、貴族の防衛の役割を担っていた武士ですが台頭していったことによって1192年に武士最初の幕府である鎌倉幕府が出来て以降、1867年に徳川慶喜大政奉還を行うまでは武士の時代が続くことになります、

 

平治の乱とは?】

武士の台頭のきっかけになった平治の乱は、当時の後白河上皇の周辺にいる貴族内の政治勢力の争いに伴い起きた出来事であり、期間としては3ヶ月と短い期間になります。

武士の勢力で言うと、平清盛を代表とする勢力と源義朝を代表とする勢力の争いとなりこれから源平の合戦が始まります。

結果としては、平清盛側の勢力が勝利し平家側が政治に深く関わるようになり源氏側が一時勢力を減らしていくことになります。

 

【その後】

平家の勢力が拡大していく中で、関東の方で源頼朝北条政子と結婚し北条家と関わりを深くし勢力を整え、源平合戦がより加熱し壇ノ浦の戦いまで続き源氏側の勝利となりました。

その後、源頼朝征夷大将軍に任命され鎌倉幕府を作り武士によって政治が行われる時代が始まっていきました。

 

今回の記事は以上です。

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今日は何があった日?(1月17日 民選議院設立建白書の提出)

 

こんにちは!

つとむです!!

 

本日1月17日の出来事は、1874年(明治7年)に板垣退助後藤象二郎などが政府に対して国会の設立を要求する民選議院設立建白書の提出を行った日になります。

 

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引用元:国立公文書館ホームページ 

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/pickup/view/detail/detailArchives/0101000000/0000000007/00

 

民選議院設立建白書とは?】

民選議院設立建白書の内容は明治政府の政治権力は天皇や国民ではなく、有司専制(有司=官僚)であることを批判した上で、国民の意見を取り入れるために政党を作った上で国民に参政権を与え投票により当選したものに政治の権限を与えることで有司の先見を抑える必要があるというものでした。

 

民選議院設立建白書の提出に関わった人物】

民選議院設立建白書の提出に関わった人物は以下の通りになります。

高智県貫属士族 古沢 迂郎

高智県貫属士族 岡本 健三郎

名東県貫属士族 小室 信夫

敦賀県貫属士族 由利 公正

佐賀県貫属士族 江藤 新平

高智県貫属士族 板垣 退助

東京府貫属士族 後藤 象二郎

佐賀県士族士族 副島 種臣

 

【提出による影響】

以前のブログでも書きましたが、提出によって自由民権運動の気運が高まり1890年(明治32年)に第一回総選挙を行い、帝国議会が開始されるようになりました。

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今日は何があった日?(1月12日 板垣退助が愛国公党を設立) - つとむのピックアウトブログ

 

今回の記事は以上です!

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今日は何があった日?(1月15日 第一回スーパーボウル開催)

 

こんにちは!

つとむです!!

 

本日1月15日の出来事は、1967年にアメリカでアメリカンフットボールのチャンピオンシップゲームであるスーパーボウルが開催された日となります。

 

スーパーボウルとは】

上記しているようにスーパーボウルアメリカンフットボールのチャンピオンシップゲームであり、そのシーズンでナショナル・フットボール・リーグとアメリカン・フットボール・リーグのチャンピオンが一発勝負の試合を行いチャンピオンチームを決める試合となります。

アメリカでの視聴率は最高視聴率は50%前後で、2021年のCM値段が30秒CMで560万ドル(約5億9,000万円)になってるそうです。それだけの経済効果が見込まれるイベントがスーパーボウルです。

ハーフタイムには有名なアーティストのショーがありそれを務めるのは名誉であると言われているそうです。

 

アメリカンフットボールとは】

アメリカンフットボールとは、アメリカで生まれたスポーツで元となったのはラグビーと言われています。

アメリカンフットボール(アメフト)の選手のイラスト

引用元:いらすとや https://www.irasutoya.com/2014/01/blog-post_551.html

 

逸話として、ラグビーは前にボールを投げれないのでアメリカ人には向かず、プレー中一回だけ投げれるようにルールー変更したという話があります。

試合は、一試合を4分割して1クォーター15分の合計60分になります。

攻撃側と守備側で分かれており、攻撃側は4回攻撃する間に10ヤード進めなければ攻守交代となります。

得点方法はタッチダウン(ランナーもしくはボールが相手エンドゾーンに入る)で6点

タッチダウン後にフリーキック成功で1点、タッチダウン(相手エンドゾーンの3m前からワンプレーでエンドゾーンまで行くことに成功する)で2点、フィールドゴール(プレイ中にスナップされたボールをキックしあいた側のポール間を通る)で3点となります。

コンタクトスポーツのため反則行為等が厳密に決められているので興味がある人は調べてみてください。

 

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今日は何があった日?(1月14日 カサブランカ会議)

こんにちは!

つとむです!!

 

本日1月14日の出来事は、1943年に第二次世界大戦の枢軸国(日本・ドイツ・イタリア)への無条件降伏の要求を決めたカサブランカ会議が開催された日です!

 

第二次世界大戦に関係する出来事を取り上げることが多いですね!

調べるとこの時期の出来事が多く色々と勉強になります!!

 

カサブランカ会議とは?】

カサブランカ会議とは、連合国側で行われたの会議の一つで当時のアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトとイギリス首相ウィンストン・チャーチルが会談し、上記したように枢軸国への無条件降伏を要求することとアフリカ作戦成功後にシチリア島南イタリアの上陸作戦を行うことを決定した会議となります。

 

【枢軸国と連合国】

当時は、第二次世界大戦の真っ只中であり世界は枢軸国と連合国に分かれていました。

枢軸国の中心国家が日本・ドイツ・イタリア。連合国の中心国家がアメリカ・イギリス・フランス・中国でした。

欧州では、枢軸国側(ドイツ・イタリアなど)と連合国側(イギリス・フランスなど)にアメリカが支援する形で、アジア・太平洋側では枢軸国側(日本など)と連合国側(中国・アメリカなど)で戦争が各地で起こっている状況でした。

 

カサブランカ宣言】

カサブランカ会議の会談によって決定したことを宣言した内容がカサブランカ宣言です。1943年2月12日に宣言されました。

内容の中心は無条件降伏についてで、最終的に枢軸国は無条件降伏を受け入れることで終戦することになります。

 

今回の記事は以上です!

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今日は何があった日?(1月13日 ドレフュス事件)

 

こんにちは!

つとむです!!

 

その日の出来事をピックアップしているこのシリーズ基本的には過去の歴史的出来事をピックアウトしているので、豆知識として見てくれるとうれしいです!

 

本日1月13日の出来事は、1894年にフランスで起きたドレフュス事件です!

 

ドレフュス事件とは?】

ドレフュス事件とは、フランス陸軍省の機密文書がドイツ陸軍武官宛てに送られたことが発覚し、ユダヤ人のアルフレド・ドレフュスが容疑をかけられ逮捕された事件です。

世界史の教科書もしくは資料集に軍刀をへし折られている軍人の絵を見た人がいるのではないでしょうか?その絵がドレフュス事件を描写している絵になっています。

 

【冤罪と軍部の情報隠匿】

逮捕された後に、情報を流したのはドレフュスではなく、別の人物であることがわかります。しかし、陸軍はその情報を公にしませんでした。

その情報を秘密裏に知ったドレフュスの兄が、裁判のやり直しを訴えましたが、当時の陸軍大臣はそれに反対するという対応を行いました。

結局、裁判はやり直しとなりドレフュスは無罪を勝ち取り軍役に戻ることが出来ましたが、無罪を勝ち取るまでに12年かかりました。

 

【事件の影響】

今回の事件の背景には、ドレフュスがユダヤ人であることも影響していました。

キリスト教徒からすると、ユダヤ人はキリストを裏切ったユタの末裔であり憎しみの対象となってしまい、ユダヤ人に対する弊害が多くありました。この事件等を通じてユダヤ人国家を造ろうとする運動「シオニズム」が活発となっていきました。

 

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今日は何があった日?(1月12日 板垣退助が愛国公党を設立)

 

こんにちは!

つとむです!!

 

本日1月12日の出来事は、1874年(明治7年)に板垣退助が日本最初の自由民権運動政治団体である愛国公社が設立された日です!

 

自由民権運動とは?】

自由民権運動とは、明治時代に起こった政治運動に一つで当時は幕末に倒幕で活躍した薩摩藩長州藩を中心に土佐藩備前藩の4藩を中心とする藩閥政治となっていました。

この政治に国民の批判の声が増えていき、4藩の中でも土佐藩はこの政治体勢に反発するようになりました。

 

板垣退助とは、どんな人物?】

板垣退助は、江戸時代末期に土佐藩(現在の高知県)に上級志士として産まれました。

大隈重信とともに自由民権運動の指導者として活動しました。演説の最中に反発する人から命を狙われナイフで刺された際は「板垣死すとも、自由は死せず」という名言を残したことでも有名です。

 

自由民権運動のその後】

自由民権運動が活発となり、1890年(明治32年)に第一回総選挙を行い、帝国議会が開始されるようになりました。

それ以降、選挙権の条件等が変わっていきましたが現代の選挙の原型が活動の結果できあがりました

 

今回の記事は以上です!

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